ローカル日和。

【長崎県平戸市 移住・定住体験談】
リタイアではなく新たなスタート。まちの歴史を自分の歴史へ

移住したいと思ったきっかけ、理由を教えてください

60歳からの新たなスタート、自分の可能性を信じてみたかったのです

生まれは東京・世田谷ですが、若い頃からもともと海外雄飛の希望を持っていました。大学卒業後は順調に仕事をこなし、結婚もして家族もできましたが、定年に近づくにあたって、自分の中でも信じられないくらいの「想い」が再燃したんです。定年よりも少し早く60歳のタイミングで一年発起し、2010年に家族の了承を経て海外へ飛びました。まずは、最も興味をもっていた中国に向かい吉林省の国立大学(長春師範学院)で日本語教師を1年間経験しながら、自分の可能性をどこまで広げられるかひたすら向き合いました。

なぜ日本に戻られたのですか?

きっかけは3.11、何か自分にできることはないかと考えました

日本に戻り、すぐに被災地へのボランティアへ向かいました。妻は東京で仕事をしておりましたが家族の理解も得られ、しばらく現地に滞在していたんです。被災された方はもちろん、日本各地から来たたくさんの方とお話をしているうちに、海外に目を向ける前に、日本でまだできることが多くあるな、感じたのが大きかったですね。もうそこからは思い立ったらすぐ行動でした(笑)東京へ一度戻り、家族と話して沖縄、大分、宮崎、鹿児島と旅をしながら、長崎の平戸に行き着きました。

平戸の第一印象はいかがでしたか?

人のやさしさ、朝の気持ちよさに感動しました

平戸に着いてから、あてもなくバスに乗り、端へ端へと向かいました。平戸市は日本の最西端ということもあり、いけるところまで行ってみようという感じだったと思います。生月島に渡り戸田や旅館に宿泊し、何日目かの朝、起きて近くの山田教会へ向かいました。長崎の中でも平戸は隠れキリシタンゆかりの地であることもあり、多くの教会が存在し、今でもキリスト教徒の方々がお祈りをささげておられます。私が行った時も、朝の澄みきった空気の中ひとりのおばあさんに出会いました。お祈りが終わりご自宅に帰る途中だったと思うのですが、何気ない会話の端々に「外から来ている私でも、わけ隔てなく受け入れてくれる」という直感を持ったのを覚えています。丁寧にお礼を申し上げ、旅館を発って東京へ戻る途中、なんとも 言えない感覚がこみ上げており、平戸への想いがより強くなりました。

移住を決めたきっかけがあれば教えてください

最後は自分のフィーリングを信じました

長崎には、江戸時代初期に天正遣欧使節としても活躍した「中浦ジュリアン」という司祭がいました。中浦ジュリアンは使節団の副使としてローマ法王に会いにいったわけですが、当時としては当然の大冒険であったわけですよね。私としては何の血筋も無いのですが、これから新たなスタートを切るにあたってのシンパシーを感じたのだと思います(笑)最後は自分のフィーリングを信じて、平戸への移住を決めました。

移住後に感じたギャップなどはありましたか?

湿度が高いのにはびっくりしましたが、そこも含めて愛せました

平戸の中でも生月島は特に湿気が高いように思います。私は一度の滞在で移住を決めたのでそこはもう仕方ないとあきらめ、除湿機をフル稼働しています(笑)また、何となく生活費の安さを期待していたのですが、そこは東京とそこまで変わらなかったですね。特にガスなどの燃料費は都会よりも高いケースが多いと聞くので、よく考えておいたほうがいいと思います。

住宅選びで困ったこと、大変だったことはありますか?

いいな、と思う場所ほど情報が少ないですね

東京から平戸の住宅情報を探すことになるので、インターネットを活用する以外の方法はないわけですが、田舎の情報なので情報探しは相当苦労しました。物件情報サイトなども確認しましたが、田舎の場合、市の空き家バンクが最も情報量も豊富、かつ更新も早いので助かりました。より詳細を伺うために電話できるのもいいところかもしれないですね。市の担当者は実際に現地を見ている方がほとんどなので、細かい確認などもスムーズでした。ちょうどまた平戸に行こう、と思った時に担当者の方へ連絡すると、その日に見れるということ だったので、当日一緒に物件を見に行き、その場で契約しました。やはり地元のことは地元の人にお願いするのが一番ですね。

実際に引っ越しをしてからの簡単なリフォームなども、そのまま市役所を通じていくつか業者さんをご紹介いただいたのでスムーズでした。また、その際に補助金のアドバイスなどもしていただけることは本当に助かりました!その他、自作でウッドデッキを作ったり、釜を作ったりなどはのんびりと自分のペースで行っています。もう、楽しくて仕方ないですね。

移住されてから、地域の方とのつながり方を教えてください

まちの「歴史」を学ぶこと、それを自分に取り込むことが重要です

引っ越し時に近所の方へはもちろんご挨拶に伺いましたが、外仕事などで家の外にいるときに前を通る方には、今でも必ずみなさんにお声がけするようにしています。また、ご挨拶を通じて地域の方からまちの歴史、その方個人の歴史などをお伺いすることが多いのですが、それをなるべく自分の中に取り込むようにしています。言葉にするのは難しいのですが、まちの歴史を自分の歴史に重ねるようなイメージですね。歴史には必ず語り部がいます。ここに住むからには、自分がその語り部となれるように広げていきたいですね。

移住されてかたのお仕事を教えてください

地域の方を中心に、中国語教室を開いています

皆さんからお話をお伺いする過程で、老若男女問わず、都会に比べても想像以上に「学習」へ興味が高いことに気が付きました。私に何か教えられることがあるかと思いましたが、かねてより続けていた中国語を元に、教室を開催することとしました。開催にかかる実費だけをいただくこととして、皆さんに喜んでいただければよいかなと思っています。

教材などは全て手作りで、なるべく余計なお金を使わないように工夫しています。それがかえって生徒の皆さんから好評で(笑)第1期がちょうど終わったのですが、第2期に向けてはさらに充実した内容にできるよう、今から楽しみで仕方ありません!

これから移住を検討されている方へのメッセージをお願いします!

100人いれば100通りの希望がある、タイミングが重要です

例えばどこかに新しい拠点を持ったとしても、雫石町に帰ってこれるように雫石町に拠点を持ちたいんです。モナコに仕事の拠点を置きたいな~と思っているのですが、雫石町からはいなくなりません。そのために、地域活動に取り組みます。移住希望される方全員にマッチする土地がないのと同じで、100人いれば100通りの条件があると思います。一律のアドバイスをすることは難しいですが、何よりも大事なのはタイミングだと感じましたね。家を決める時もそうですし、仕事をはじめる時もそうでした。また、家族との相談はなるべく早い段階でされるほうがいいですね。自分の気持ちが固まってしまってからだと遅いように思います。また、もし希望される条件が複数あるのであれば、私のようになるべく全ての地域へ足を運ぶことが重要かなとも思います。金銭的にも時間的にも厳しいかとは思いますが、あとの後悔も無くなると思いますよ。皆さんが素敵なまちに出会えることをお祈りしています!

  • 名前
    中浦 光彦 さん
  • 移住開始日時
    2015年 10月
  • 家族構成
    本人、妻、息子(海外在住)
  • 生まれ
    東京都世田谷区
  • 移住した場所
    長崎県平戸市
  • 仕事
    中国語教師
  • 物件
    5LDK+倉庫(現在は畑もレンタル中)